東北の杉山での伐採

Native Japanese — No. 2

設計したのは山だった

The Architect Was the Forest

建具屋や大工から聞いた話をもとに。ほとんどの人はもういない。これはただの記録です。

実家を建てたとき、誰も建築家を呼ばなかった。大工が自分の山から切り出せる木を見て、あるだけの予算の中で、間に合わせた。それだけのことだ。

杉山を持つ家は杉で建てた。雑木山しかない家は雑木で建てた。研究者が丁寧に論じる「地域ごとの伝統建築の違い」——梁の太さ、屋根の勾配、室内の比例——は、その土地に何が生えていたかの違いにすぎない場合が多い。

設計したのは山だった。大工はただ、山の声を聞いた。

これはロマンチックな話ではない。実用の話だ。自分の山の木は、手間以外にはタダだ。あるものを使う。材料が許す形に建てる。


東北古民家の煤けた梁と木組みの天井

東北の古民家の内部。囲炉裏の煙で何世代もかけて黒くなった梁。釘なし、金物なし。木が木を支えて、百年以上立っている。

この梁を見てほしい。均一ではない。木が曲がって育ったところは、梁も少し曲がっている。大工は木を形に従わせなかった。木が持っている形を読んで、そこに合わせた。

外に向かって曲がる梁は、その曲がりが荷重を自然に受ける外側に使われた。内に向かって曲がるものは別の場所に。無駄にしたものは何もない。強引に使ったものも何もない。

写真の継ぎ手に釘は一本もない。ほぞとほぞ穴、楔で締めた仕口。地震で建物が動いても、割れずに追従する。これは哲学ではない。建物が倒れるのを見て、なぜ倒れたかを考えた結果の工学だ。


年月を経たケヤキの板戸。渦を巻く木目

ケヤキの引き戸、何十年もかけて経年した木目。三方向に動く杢。同じパネルは一枚もない。これが生きていた木の表情だ。

これはケヤキだ。硬く、密で、摩擦に強い。扉・敷居・何千回も触れるものに使われた。美しいからではない。持つからだ。

木目を見てほしい。水が岩を回るように渦を巻いている。一枚一枚が違う。木が違う育ち方をしたから。品質管理はここにない。あるのは木だけだ。

無印(Muji)

デザインとしてのシンプル。均質が美学。不完全さはあなたの目に届く前に取り除かれている。

無垢(Muku)

自然のままのシンプル。不完全さが素材そのもの。木がそうだったように、あなたはそれと暮らす。そして年月とともに変わっていく表情を楽しむ。

無印良品は「日本的なシンプルさ」という概念でグローバルブランドを作った。良いブランドだと思う。ただ、そこで売られているシンプルさは製造されたものだ——ばらつきは削られ、節は除かれ、すべての面が均一にされている。

この写真の扉はその逆だ。育ったように育った木から作られた。大工は手元にあるものを使った。結果として生まれたのは、どの工場も再現できないもの——そもそも設計されていなかったのだから。


私は建築家でも研究者でもない。こういう家で育って、似たようなものを建てた建具屋や大工たちと話をしてきた。ほとんどの人はもういない。

彼らが言っていたのは、つまるところこういうことだった。山が出してくれるものを使う。必要な場所に合わせて刻む。自分がいなくなった後も立っているものを作る。

20世紀になって西洋の建築理論が日本に来て、こういう家を見て言った——「これが間の哲学だ」「負の空間の美学だ」「禅的な素材へのアプローチだ」。大工たちはきっと、首をかしげただろう。家を建てていただけなのだから。

美しさは本物だった。哲学は後から、鑿を一度も持ったことのない人たちが付け加えた。

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